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2003年2月25〜3月2日まで、EstoniaのVoru
& Hannajaで行われたSki-Orienteering World Cupに参戦してきました。
同時開催のマスターズ選手団(大里、武石、高原、内山、山田)の一行と合計6人で、バルト海に面したエストニアにわたりました。
マスターズの選手のうち、武石、内山、山田の三氏はFinland Vuokkatiで共にワールドカップに参加した仲間たち、そして今年は山田敦史もスウェーデンのワールドカップに参加しているので、それぞれが再度世界に挑戦したわけです。
ここでは、マスターズについては別途他の参加者からの参戦記を待つことにして、私自身の独断と偏見に満ちたワールドカップ参戦記をお届けします。
<参加を決めるまで>
ワールドカップとマスターズがエストニアで行われるということを聞いて以来、自分の中に湧き上がる密かな思いがあった。かつて2000年にFinlandで行われたWorld
Cup以来、競技としてSKI-Oにかける情熱は冷えており、当然トレーニングをほとんどせずに運営(特にスノーモービルの運転ばかり)をするシーズンが続いていた。2000年当時は、学生だったこともあり、トレーニングする時間的な余裕や、地の利を活かしてしょっちゅうトレーニングに行っていたが、東京での多忙な社会人生活ではそれはかなわない。それを言い訳にすることに慣れてしまっていたようだ。
体重はいつのまにか増え続け、いわゆる腹のたるんだ中年に近づきつつあった。トレーニングをすればいつでも速くなれるし、またWorld
Cupに出れるだろう、そんな甘い考えを持ちながらまた2003年のシーズンを迎えようとしていた。
ある日、自分が勤めている会社の社長と六本木で遊んでいた。社長が酔っぱらった時に私を紹介するのによく使うのが、「こいつはワールドカップに出たことがあるやつなんだぞ。」というフレーズ。2002年はサッカーのワールドカップのあった年。それもあって、飲み屋でのウケは常に上々なのである。その日も何気なく社長がそんなことを言って私を紹介していたのだが、そのときに酔っ払って、「いやぁ、もう一回でてみようと思ってるんですよぉ」なんて言ってしまったのである。社長からしてみれば、「わが社の社員がワールドカップだなんて名誉だ」とか、思ったに違いない。その場ですぐに、「行きなさい!」という結論になってしまった。
次の日、 社長がそのことを私の上司に伝えてしまい、成り行き上行くことになってしまったというのが事の発端である。
<参加までの準備>
参戦するとなれば、相当な準備をするのが当然だろう。時はまだ10月。4ヶ月あれば十分に変われる。体力的にかなりの不安があったので、まずは軽くジョギングすることから始めた。当然ローラースキーも何度か行った。体力がつくほどのトレーニングは結局出来なかったが、準備を始めたという点では意味があったと思う。トレーニングは通年でちゃんとやっておくことが当然必要だが、たとえそれができなくても、たとえ少しでも、何か準備しておくことの効果はきっとあると、願っていた。
11月の初雪合宿はぼろぼろだった。旭川で滑っている学生たちに全くついていけず、ぜぇぜぇ言っていた。5分に1回は休んでいたような気がする。試練であった。この時に、自分の体重が重すぎることに気がついた。当時の最高体重は71kg、ワールドカップまでに65kgまで落とすことに決め、これが達成できなかったら行かない、と決めた。
12月中旬から、雪の上での本格的なトレーニングが始まった。OLPのメンバーと、グスタフソンコーチと、2月末までほぼ毎週のようにトレーニングを重ねた。例年の滑るだけの闇雲なトレーニングと異なり、今年はグスタフソンコーチのおかげでシーズンのピークをレースに持っていくことに主眼を置いて体系的なトレーニングを行うことが出来た。その効果は年始頃から現れ始め、年始の頃にはのぼりの短距離であれば、OLPのメンバーに勝てる自信がついてきたし、今までに2周以上休まずに回れなかった蔵王のクロカンコースも、4周や5周こなせるようになっていた。
ルスツではショートは冴えなかったものの、ロングではそれなりの時間で帰ってくることができた。体力的に今まで一時間以上もたなかったのが、2時間程度のレースでもなんとかなる自信がついたのが収穫であった。ちなみにこのルスツの大会が、私がSKI−Oを始めて以来、初めてフル参加したイベントである。自分でもちょっとびっくりした。
2時間トライアルでは宿敵内山さんをあっさりと抜くことができた。スタート直後に転倒したり、バスケットが割れたりと、コンディション的にベストであったとは言えないが、皆が伸び悩む中、自分ひとりは伸びていることが証明されたレースであった。2時間トライアルも通過地点に過ぎず、その翌週に行った80分ハンディキャップレースで、さらに自分が早くなっていることっを確認することができた。
福島大会では、自分の弱点を認識することができた。下りでのマップリーディングである。くだりだと、下ることに一生懸命になりすぎて、マップを全然見ていない。ショートも、ロングも下りで失敗している。ロングでは、大切な大切なポールを折ってしまい、スピードも上がらないレースであったが、非常に良い練習にはなった。しかし、依然丸山哲史氏との差がかなりあることには愕然とした・・・。
<大会会場にたどり着くまで>
トラブル続き、の一言だろう。大体成田空港で、前の会社で私よりも2ヶ月前に辞めた同期の友人に会ったというのがおかしい。辞めてからどこで働いているのかすらしらなかったのに・・・。
成田→コペンハーゲンは12時間の長旅。すんなり着けばそれでもいいものの、濃霧のため上空をぐるぐる旋回。視界数十メートルの中、なんとか着陸はした。しかし、コペンハーゲンからエストニアの首都タリンへのフライトはキャンセルとなり、コペンに一泊することになった。空港からホテルへのタクシー、夕食、宿泊費等、すべて航空会社もちで、コペンの街も朝7時くらいから1時間くらいぷらぷらできたので、それそれでよかったのだが・・・。
タリン空港では思いがけないアクシデントがあった。スキーバックが出てこないのである。前の夜、コペンの空港に預けっぱなしにしていたのだが、それがいけなかったらしい。どうも飛行機に乗せ忘れていたらしい・・・。
タリン空港で大里さんと合流し、私以外のメンバーはVoruのホテルへ向かった。そう、私はひとり空港に取り残され、次の便でやってくるであろう愛しのスキーバックを延々と待つことになったのである。(実は、この部分までは、暇なのでタリン空港での待ち時間で書いている。)ドイツやフィンランドの選手たちのスキーバックが輝いて見えた瞬間である。
<大会の目標>
現時点で上位に食い込むのはまず難しいだろうと考えていたし、スウェーデンでの山田敦史氏や山本賀彦氏の活躍を見るに、トップの190%以内程度だろうと考えていた。今回のワールドカップは、ロングとショートがあり、ロングのウィニングタイムは90〜100分とのことだったので、3時間以内、というのを目標とした。ショートについては時間的な目標はたてず、つぼるか当たるかのオリエンテーリングをしようと考えていた。
ブービー以上というひそかな目標もあったのだが、今回のワールドカップには弱小国がほとんど参加し無そうだったことも有り、ちょっと無理そうだなぁ、と感じていた。
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