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Opening ceremony in snow village... (Takeishi, Shibata and Yamada)


2000年1月12〜16日まで、Finland Vuokkatiで行われたSki-Orienteering World Cupに参戦してきました。ここでは、そこで見たこと、感じたこと、学んだことなどを報告していきたいと思います。


1999年9月末 World Cupに行くことを決意。来年1月は、修論などで大変なことになることは予想でき、教授の許しももらえるかどうか不安だったが、武石さんの日本代表指定選手状のおかげですんなりと行けることになってしまった。

1月8日 修論を教授室のポストに押し込み、出発準備。
山田、柴田が武石宅に午後6時集合。豪勢な壮行会(武石さん、ごちそうさまです)の後、夜12時ごろ就寝、2時起床、3時に成田に向けて出発。

1月9日 内山さんと成田空港で合流し、FinairでHelsinkiに向けて日本を離れる。

およそ9時間後に空港到着、思ったほど寒くない。空港で無事に到着したことに祝杯をあげ、Kajjani行きへの飛行機を待つ。Vuokkatiについたのは夜9時過ぎ。結局武石さんの家から25時間くらいたってようやくホテルに到着。ホテルでは、OrganizerのMikaが待っていてくれて、その日はそのまま疲れて寝てしまう。

1月10日 この日は晴れ。気温は0℃くらい。結局この日みた太陽が、Finland滞在中の最初で最後の太陽だった。午前中はワクシング、昼からコースに出て滑ってみる。やはり初めて滑るコースは新鮮で気持ちいい。朝は10時くらいに太陽がわずかに出て、3時半には暗くなる。waxroom.jpgsunrise.jpg












この日はトレーニングは軽め、10km〜15kmくらいしか滑らなかった。
夜は食堂でビールで乾杯。Lapinkultaは泡が無く、ちょっと辛口のビールだった。
そして夕食を食べていると、根津さんをついに発見。根津さんとはonlineでしかやりとりしたことがなかったが、すぐにそうだと分かった。いろいろと話しているうちに、根津さんが12日のモデルイベントに(無理やり?)参加することになった。

1月11日 今日は朝からSotkamoの町へ滑っていった。SotkamoはVuokkatiから6kmの町で、なんとスーパーが3つもある。Sotkamoまでは途中2kmの湖を渡らなければならなかった。武石さんが躊躇せずに渡っていったのでそのまま氷の上を滑っていったが、後で地元の人に聞いたらかなり危険だったらしい。ジュースとスリッパを購入し、昼頃Vuokkatiに戻ってきた。いやー疲れた。

午後はなにしてたか良く覚えていないが、たぶん滑っていたような気が・・・。


夜、食事をしていると、突然城山朋子嬢が目の前に現れた。予定では次の日に到着することになっていたので、一瞬誰だか分からなかった。



1月12日 この日はモデルイベント。ホテルの中にOL店が出張開店。いろいろと面白そうな物を売っている中で、マップホルダーを作っているおじさんを発見!やっぱりmanual factだった・・・。そして根津さんもDiscountしながらもマップホルダーを購入。これで一人前のSki-Orienteerになった。そしてモデルイベント。一年ぶりのSKI-Oに戸惑いながら、非常に楽しかった。タイムは20-30分くらいで回れるような短いコースだった。結局午前中に2周したが、ほとんどタイムは変わらなかった。

この日は根津さんもモデルコースをまわった。タイムは20分ちょっと。なんと、みんなと変わらないではないか!!いきなりOLの地図を見て、こんなタイムを出せる人はぜひSKI-Oをやってみるべきだ。ということになって、根津さんもいきなりWorldCupに日本チームとして参加することになった。初レースがWC,しかもロングディスタンスだなんて恐ろしい・・・。

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午後5時くらいからオープニングセレモニーがあった。なぜか日本チームが国旗を持って先頭を歩き、1kmくらい進んだところにあるSnow Villageでセレモニーが行われた。ピエロの踊りと、挨拶と、クッキーとベリージュース。あっけなく終わって宿に戻り、いつもと変わらぬ食事を食べて、その後ミーティング。渡されたゼッケンを見ると、Fujitsuの文字が!なんとスポンサーなのである。うーん、フィンランド勤務にならないかなぁ、なんて思ってたら山田一善さんがようやくHotelに到着した。


1月13日 ロングディスタンス
ロングディスタンスは、Kajjaniという、Vuokkatiから40kmほど離れた場所で開催された。会場は立派なスタジアムのようなところであった。女子のスタートが10時で、男子が12時。暗くなりはじめるのは3時ごろなので、それまでに帰ってこないと大変だとスタート前から心配だった。 wastart.jpg.jpg



私の乗ったバスが会場に着いた頃、女子のスタート直前であった。城山さんも準備しており、いよいよレースが始まった。地図は15秒前に渡される。女子とはいえ、猛烈な勢いでスタートしていく。本当に地図をみているのだろうか。





lastcontrol.jpg 女子のスタートから男子のスタートまでは2時間あったので、比較的ゆっくりとウォーミングアップした。スゥエーデンチームの隣でスキーテストをしたら、自分の板があまりにも滑らなく、恥ずかしくなってやめた。さすがにワックスマンを連れてきているチームは違う。

しばらくして、女子のトップ選手が帰ってきた。ロングはスリーマップだったので、3回目の前を通り過ぎていくことになる。すごい勢いでパンチし、すごい勢いでゴールしていく。圧倒されてしまった。

そのうち城山さんも通過していった。アナウンサーが、「ヤーパン、トモコキヤマー、ペラペーラ」とフィンランド語で放送していた。たぶん、もう一周頑張れということなのだろう。

そして男子のスタートとなった。


男子は距離23km、アップ510mと事前に発表されていた。つまり蔵王ライザを9周くらいするしんどさである。目標は低めに、「完走」であった。大会にほとんど参加した経験が無い自分には、妥当な目標であると思っていた。

スタートに並ぶと、目の前が武石さんだった。後ろに人がいないのが気楽だった。スタートと同時に外国勢は飛び出し、日本勢は遅れた。15秒で地図をマップホルダーに入れてさらに地図読みをするなんてできるわけがない。内山さんは地図を風で飛ばして最初から出遅れてしまったらしい。

1ポに着くと目の前に山田敦史がいた。どうやら同じコースのようである。2ポも一緒で、これは同じだと確信したが、転んでいる間に離されてしまった。この後、彼に追いつくことは無かった。

1枚目を終えるころ、すごい勢いで外国勢がやってきた。どうやらもう2枚目を終わってしまったらしい。うーん、早い。しかし、その時まだ35分ほどしかたっておらず、お、これはトップの200%くらいで帰ってこれるのではという甘い考えをもっていた。

2枚目はまわし方がほとんど同じで、簡単にまわってこれた。完走という目標は案外簡単のような気がしてきた。しかし、3枚目・・・、長かった、つらかった、つぼった、ハラヘッタ・・・。1時間半を越えた頃から、体に全く力が入らなくなってしまった。進もうと思っても動けない。心臓の音が弱っていくのを感じた。もうほとんど惰性で進んでいた。のぼりでは一歩に一回休憩していた。それでもゴールだけはしたいという意地で、最後のいじめのようなループに向かった。あれは本当にいじめである。意識が遠のいていき、あぁ、おれはもうだめだ、死ぬ、って本気で思った。ゴールは目の前なのに、ちっとも進まない自分に腹を立てながら、遠のいていく意識にショックを与えるため雪を食べた。もはや冷たいとも感じなくなっていた。最後の下りでくらくらしながらラスポに向かっていると、スタッフがポストを撤収していた。「そんな!あとラスポだけだからパンチさせてくれ!」って言ったら、「向こう向こうっ」て指を指された。ラスポを勘違いしていたのである。本当のラスポはまだ暖かく待っていてくれた。

ゴールしてみると、まだ山ちゃん(山田敦史)と内山さんしかいなかった。内山さんに負けたのは悔しかったが、その時は意識が朦朧としていてそんなことを考える余裕は全く無かった。しばらくして山田一善さんと、武石さんが帰ってきた。武石さんは最後のいじめのループを諦めて帰ってきたようだった。しばらく待ったが根津さんは帰ってこなかった。暗くなってきたので心配したが、だんだんと意識が再朦朧としてきたので、城山さんを残して遅い昼食をとることにした。根津さんはその直後に帰ってきたようだった。途中で会ったときは元気そうだったが、ゴールしてみるとだいぶ参っていた。しかし、長時間かかりながらも最後まで全部まわってきていた。この人はすごいと思った。

分かっていたことだが、自分の体力の無さを再実感した。

この日のその後のことはあまり覚えていない。寝るときまでずーっとボーっとしていたような気がする。


1月14日 休憩日
昨日の疲れが抜けきらなかった(当たり前)ので、この日はちょっとだけ滑って休養日にした。次の日はショートディスタンスである。自分にとってチャンスがあるのは、ショートだと思っていた。

1月15日ショートディスタンス
punching.jpgショートディスタンスは実質的に日本人Bクラス選手権であった。このショートで次の日のリレーのメンバーを決めることになっていたのである。実力的に、山ちゃんは当確、山田一善さんもくるだろう、その次は内山さんか、自分であると思っていたので、とにかく内山さんに勝つことを目標にしていた。

ショートはダウンヒルだと聞かされていた。スタートしてみると、下りは恐ろしい下り、登りはしんどいモービル道だらけであった。そして前半はテクニカル、後半はスピードであった。最初の方は問題なくいけたが、途中で大きなミスをした。リロケートはできたが、ミスをしたショックは大きく、その後は慎重にいくことを心がけた。

ゴール直前のポストは必死にプッシュした。ラスポでは根津さんが写真を構えて待っていた。レース内容は満足できる物ではなかったが、結果は秒差で日本人トップであった。ちょっと拍子抜けしたが、次の日のリレーへの自信にはつながった。山ちゃんにオリエンテーリングで勝ったのは何年ぶりだろうか・・・。

 山田は1番でかなりロスをしていたらしい。テレビカメラに写っていたことを意識してミスしてしまうなんて、まだまだ若いな、山ちゃん。内山さんは板を折っていたが、あのタイムで帰ってきたので、本当なら内山さんがトップだったかもしれない。

結局次の日のリレーのメンバーは、柴田-山田(敦)-内山と、根津-武石-山田(一)となった。次の日も、もちろん日本人トップタイムを出す気でいた。

この日は、170FIM払ってマッサージを受けた。痛かったが、眠さも重なってよく分からない気分のままあっというまに2時間たってしまった。疲れは・・・とれたのかどうか、よく分からなかった。


1月16日 リレー
あっという間に競技最終日となってしまった。スタートは12時。遅めの朝食をとり、レースに備えた。リレーでマススタートだが、結局は自分との戦いになることは分かっていたし、自分のペースでレースをしようと思っていた。

ゼッケン番号は3番、つまりスタートは真中の最前列であった。後ろの選手の迷惑にならないようにがんばってプッシュするつもりであったが、15秒前に渡された地図を入れそこなってかなり迷惑をかけた。
6番コントロールくらいまで順調に進んでいると、目の前に根津さんが現われた。ライバルだったので、早いな、と思いながら、振り切ろうと必死に滑っていった。8番くらいでアメリカ人Fey Carlに会った。お、今日は外人に勝てるぞって思ったら、ころんでしまい、その上を飛び越えていった。そして9番でまた根津さんに会ってしまった。その後・・・ここでは書きたくないような恥ずかしいロストをした。yamadagoal.jpg

ゴールしてみると、タッチゾーンには山ちゃんしかおらず、根津さんは既にゴールしていた。なんていうことだ。かなりショッキングなレースであった。

その後、外国勢がゴールしていく中、内山さんと山田さんがウムスタートしていった。トップの150%で帰ってこないとウムになるなんて厳しすぎる。

1時間ほどで、二人が並んで帰ってきた。見ると、また、やっぱり、例によって、内山さんが板を折っていた。しかも武石さんに借りた板である。日本に帰ってから奥さんに怒られなければいいが・・・、って本気で心配した。

結局山ちゃんががんばってくれたおかげでAチームの方が成績は上だった。しかし、自分では全く納得のいかないレースになってしまった。


こんな感じで全てのレースがあっという間に終わってしまった。World Cupというレベルの高い大会ではあり、成績は人にいえるようなものではなかったが、自分のSKI-Oに対する気持ちは明らかに変化があった。振り返れば、どれも楽しく、面白いレースだった。


1月17日 24kmコース
skicourse1.jpgVuokkatiはクロカンでは世界的に有名な地で、クロカンコースも充実している。その日はVuokkati最後の日だったので、クロカンを堪能しようと最も長い24kmコースにでた。

レースで疲れた体に24kmはつらかったが、途中でカフェに寄ったり、KOTA(小屋)によったりしながら楽しく滑れた。コースにはあちこちにクロカンを楽しむフィンランド人がいて、あらためていい国だなぁと実感した。

スキーのコースはいかにも北欧っていう感じがして、きれいだった。

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cafe.jpg Cafeでは中にいたおばちゃんにひたすらフィンランド語でしゃべり続けられた。何を言ってるのかは全く分からなかったがコミュニケーションはできた。大事なのは言葉じゃなくてハート。





こんな感じでフィンランド最後のクロカンも終わりかなぁって思っていた。

だが、その後、根津さんがやってきた。なんと、スキーで遊びながらコーチングしてくれるというではないか!疲れていたが、やる気はマンマン。最終日とは思えないはしゃぎようだった。ジャンプしたり、スラロームしたり、サッカーをしたりと、楽しいと疲れを感じない。しかもなんだか上手くなっていく。根津式コーチングの一端を見ただけであったが、これはすごいと感じた。感情を上手く言葉で表すことができないことがあるように、スキーのテクニックも言葉で覚えるものではないと感じた。「体で覚える」ことの楽しさを知った。

こんな経験を与えてくれた根津さんに本当に感謝している。



夜はいつも通りの夕食だった。ただ、他の国の選手はほとんどおらず、寂しい感じがした。夕食後、根津さんに別れを言い、帰り支度をして、最後のサウナに入ろうと準備をしていた。

その時、根津さんが突然戻ってきたので、一緒にサウナに入ることになった。「フィンランド式ローリングオンザスノーをやろう!」そんな良く分からないことを言い出した根津さんは、突然外に飛び出していった。よく分からないままついていくと、湖の上まで走っていって、裸でぐるぐると雪の上をまわりはじめた。キチガイである。よく分からないままに自分もやってしまった。気持ちよかった。
撮影の為にもう一回やることになった。なんだか若返ったような気がした。(多分気のせい) walkonice.jpgcrazy.jpg
本人の名誉のため、一部モザイクをかけておきます。


サウナから上がって、根津さんと山ちゃんとラピンクルタとコスケンコルバを飲んだ。おいしかった。今日は、クロカン、サウナ、ローリング、ウォッカと、フィンランド人的生活を満喫した(ホントか!?)。根津さんとは色々と話をし、日本での再会を誓った。別れるのが惜しかった。


1月18日 朝5時半起床 Helsinkiへと向かった。Helsinkiは寒かった。買い物もせず、やることもなく、ボーっと町を歩いていたら、もう日本に帰る時間になっていた。



今回のワールドカップは経験不足、トレーニング不足のまま臨むことになってしまったが、得たものは大きかった。スキーを楽しむことは簡単である。上達は勝手についてくるもののような気がした。ここで学んだことを今後も活かしていきたいと思う。


最後に
今回WCに参戦する機会を与えてくれ、SKI-Oに出会ってから様々な支援、協力を惜しみなくしてくれた武石さんに心から感謝します。また、SKI-Oに携わるようになって出会うことのできた全ての人達、個人的に自分を支えてくれた人、文才の無い私の長くてつまらなくて重い文章をここまで読んでくれた全ての人に、Kiitos!

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